Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
You Can't Run from Love | Eddie Rabbitt (1982's Album "Radio Romance" & `83's Single) | Eddie Rabbitt, David Malloy, Even Stevens |
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エディ・ラビットは`60年代中頃にはデビュー経歴が有りながらチャートの常連に成ったのは`70年代中頃で最も人気の高かったのは`80年代(ただ日本での人気は一部のファンのみ?)。エルヴィス・プレスリーに "Kentucky Rain" が取り上げられて知名度が上がったニューヨーク出身のカントリー系シンガー。テネシーでなくニューヨーク育ちという事で都会的なサウンドでカントリー調ソングを多く発表していました。丁度『アーバン・カーボーイ』という映画がヒットしていた頃で彼の歌う曲を『アーバン・カントリー』と呼ばれていた様です。 POPチャート登場は14曲で1位ヒット1曲を始め10位以内が4曲でしたが、カントリー・チャートでは43曲がチャートイン、うち23曲が1位のヒットと異様なヒット・メイカーでした。どの曲もヒットして当然といった曲ですが、私的には [好み度合い] 70点後半〜80点台が多く、「忘れがたい」曲というのはこの曲が一番です。 当にアーバン・カントリー!『アンアン』,『ノンノ』から『CanCam』,『ViVi』といった雑誌に人気が以降し出した時代、`80年代を思い出す懐かしさです。この曲、アダルト・コンテンポラリー・チャートでも2位迄上がっていました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
We Should Be Lovers | Phyllis Hyman (1983's Album "Goddess of Love") | Joseph Jefferson, Charles Simmons, Sherman Marshall |
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フィリス・ハイマンは前ページ内で78曲目、79曲目で既に2曲選んでいますが、もう一曲彼女の6作目のアルバム収録曲を。彼女はジャズ・クラブで歌う事から音楽界に入った人ですので、Buddah 時代はゲイリー・バーツやレジー・ルーカス等ジャズ畑プレイヤーのバックで録音していました。(死後に発売された10作目にはジャズ・ヴォーカルの素晴らしい歌唱も有ります) 人気の出なかったBuddahを離れて、Arista 移籍後にディスコ・ナンバーでヒットを出して一般人気を得ましたが、ディスコ系のみでなくスローやミディアム・テンポで、じっくり、しっとりと歌い上げることが出来るシンガーで大好きなシンガーのひとりです。 この曲は、シグマ・スタジオ録音らしくフュージョン系サウンドのスィート・ソウルです。アーバン・コンテンポラリーというジャンルに分類されるのでしょうか、コートを羽織りたくなるような季節によく似合います。 レイ・パーカー・ジュニアの "A Woman Needs Love" 等と一緒のテープに入れて良く聴いていました。こういった都会的なスタイルを聴くと上記のエディ・ラビットの曲同様、`80年代前半の時代を思い起こします。まだアメリカ資本だった時代のタワーレコード (今はドコモが筆頭株主) が三宮センター街に有り(その後の関西の大阪店・京都店よりも広面積店舗でした)黒人シンガー物は南部系よりも都会的なものが多く有ったと思います。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
You Gonna Make Me Love Somebody Else (冷たくしないで) | The Jones Girls (1979's Album "The Jones Girls") | (Kenny Gamble, Leon Huff | |
1970年代後半はフィリー・ソウルと呼ばれるシグマ・サウンド・スタジオ録音で Philadelphia International レーベルから出されるアルバム、シングルがチャート上位の常連に成っていました。確かに今聴いてもはっきりと覚えている曲が多数あります、そしてヒットした曲は古さを感じない曲が多いです。日本の小室ソングとAVEX と似た部分も有りますね。`79年デビューのジョーンズ・ガールズのこのシングル、ポップ・チャートでは中ヒットでしたがソウル・チャートでは5位まで上がるヒットと成っています。ディスコ、クラブでもかなり流された様です。 "ソウル・トレインのテーマ" やスリー・ディグリーズのヒット曲を作ったソング・ライター・コンビのギャンブル&ハフ作品で一度聴いたら忘れられない曲です。邦盤シングルの "冷たくしないで" はプレスリーの別曲の方が邦題として圧倒的に有名で、こちらの邦題はほぼ忘れ去られています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
A Hurricane Is Coming Tonite (恋のハリケーン) | Carol Douglas (1974's Album "The Carol Douglas Album" & `75's Single) | Alan Bernstein, Eddie O'Loughlin |
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イギリスの女性歌手 Sunny が歌ってヒットした "Doctor's Order 恋の診断書" のカヴァーをアメリカでヒット(POPチャート11位、ダンス・チャート2位)させて、一躍有名になったシンガーで初代のディスコ・クィーンと云っても差し支えないキャロル・ダグラスのセカンド・シングルが "A Hurricane Is Coming Tonite 恋のハリケーン" 。本国ではBB誌POPチャートの81位止まりでしたが日本ではかなりヒットしていたように思います。この曲も40数年経ても色あせない軽快さが詰まっています。初期ディスコ・チューンの名曲でしょう。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
99½ (Ninetynine and Half) | Alton McClain & Destiny (1978's Album "Alton McClain & Destiny") | Carol Lynn Towns (1984's Single) | John Footman, Maxi Anderson |
2020年12月にブレイキン (ブレイクダンス) がオリンピック競技に成ることが決まったと発表されました。ビバップ・ステップのストリート・ダンスがスポーツ競技に認定されたの?と驚きでしたが、この映画は`84年に公開されてその後国内でレーザー・ディスクで映像版が発売されたものを購入して観ました、サウンド・トラック・アルバムも買いました。 映画『フラッシュ・ダンス』のヒットの後でしたので、主演のジェニファー・ビールスに続いてルシンダ・ディッキーも人気が出てこの映画も結構楽しかったのですがレーザー・ディスクはもう観ること出来ません。 映画の中の一曲では "99½" が一番気に入ってオリジナルのアルトンマックレーン&ディステニィ盤をも購入した事を思い出します。 ちなみに本国では『Breakin'』のタイトルでしたが、日本やヨーロッパでは『Breakdance』のタイトルでした。 ![]() ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Believe in the Beat | Carol Lynn Towns (1984's Single & Soundtrack Album "Breakin' 2 : Electric Boogaloo") | Layng Martine Jr. | |
映画『Breakin'(Breakdance)』の続編で邦題は『ブレイクダンス2 ブーガルビートでT.K.O !』、サウンドトラック挿入曲の中ではこちらもキャロル・リン・タウンズの "" が一番気に入った曲でした。ブレイクダンス用の曲と云うより普通のアップテンポ・ポップ・ソウル・ソングでしょう。映画内でも屋外でディスコホールで踊る様に多勢で踊っていました。曲としてはこちらの方が好きですが、本国では映画、曲共々前作に及びませんでした。この頃、日本テレビでもダンス系が良く放映されていましたが、ダンサーの村田香織さんが踊りバックでバックダンサー時代の少年隊が踊っていた『ナイト・スクエア(TBS 関西 MBS)』が深夜に放送されていて大好きな番組でした。司会が宮内鎮雄さん、歌手は中村裕美さんとゲストという懐かしい番組です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Little Child Runnin' Wild | Curtis Mayfield (1972's Album "Superfly") | Curtis Mayfield | |
`60年代のR&Bヴォーカル・グループで一番好きだったインプレッションズのリード・ヴォーカリストだったカーティス・メイフィールド。ソングライターとしても優秀でインプレッションズ時代後期には黒人問題などを意識したメッセージ性の強い曲を作っていましたが、1970年ソロで独立するとその傾向はさらに増し音楽面ではファンクっぽいリズムを好むように成って行ったようです。 この曲が収録されたアルバム『Superfly』は映画のサウンドトラックでもあり、映画はアクション物分類ながらスタッフ・キャストもアフリカ系の人たちで観客をもそういった人達に絞った様な想定で製作されています。 それでも映画はアメリカ全土でヒットし、このサウンドトラックアルバムもビルボード誌ポップチャートで1位になる大ヒットアルバムでした。シングル化は別の曲が3曲出され、うち2曲がトップ10内、1曲が30位台のヒットでした。わたしの気にいった曲はシングル化されなかったこの "Little Child Runnin' Wild"。黒人街で生れた子供たちが充分な親の援助を受けられずに育ち荒くれている様子を歌った歌です。サウンド的にはファンキー色よりも純ソウルっぽい雰囲気を持っています。大好きな曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
It's Been Fun | The Emotions (1971's Album "Untouched") | Joe Hutchison | |
Columbiaレーベルに移籍してモーリス・ホワイトと組んで全米ナンバーワン・ヒット "Best of My Life" 等を出し人気ヴォーカル・グループとなったエモーションズですが、デビューは Stax傘下のVoltレーベルからでした。この曲はセカンド・アルバム収録曲でサザン・ロック系で有名なマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでの録音。 ただ、この曲は南部色はそう感じないで私的にはベティ・ライトを思い起こすようなマイアミ・ソウル的な感じで聴きました。ハッチンソン三姉妹がまだ20歳前後の若い時期の録音なのでハツラツとした伸びる声で`70年代後期から`80年代の全盛期の曲より好きな曲です。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Just the Two of Us (クリスタルの恋人たち) | Grover Washington Jr. & Bill Withers (1981's Single) | Toshi Kubota with Caron Wheeler (1996's Single) &Others |
Bill Withers, Ralph MacDonald, William Salter |
フュージョン畑のサックス奏者 Grover Washington Jr. のインストゥルメンタル・アルバムの中で一曲だけ Bill Withers が曲の提供とヴォーカル参加した曲ですが、7分越えの曲のサックスソロ部分をカットして4分未満に編集、ソフト&メロウなヴォーカル曲としてシングル化されました。それでもシングル盤のクレジットは Grover Washington Jr. のみ、その後全米チャートを駆け上がりPopチャートでも2位迄上がりました。そこで初めて、ヴォーカル担当のビル・ウィザースが認識されてその後は、and Bill Withers や with Bill Withers と記される様に成りました。わたしの買ったのもビルのベスト物編集アルバムです。グローバー・ワシントン・ジュニア盤は Elektra レーベル発売でしたが、ビルの『Greatest Hits』盤は Columbia からの発売で当時は全く別の会社から出ていました。元々はソウル・シンガーなのに最新ヒットが邦題タイトルに「クリスタル」が付いたものだから、ガラス瓶のデザインが… と思いきや米盤、英盤もおなじデザインでした。 トップ収録曲のイメージ合ってはいる感じですが、他の曲との兼ね合いもあり、個人的には富裕層感が出すぎて気に入らないデザインでした。カヴァーは久保田利伸さんとキャロン・ウィーラーのデュエット物がありました。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Lean on Me | Bill Withers (1972's Single & Album "Still Bill") | Crystal Gayle (1981's Album) & Others |
Bill Withers |
ソウル・シンガー、ビル・ウィザースは上記のグローバー・ワシントン・ジュニアとの共演シングルが全米2位のヒットと成っていますが、自身の完全ソロでも1位曲が有り、その曲がこの曲。ポップ・チャートのみならず本来のソウル・チャートでも1位に成るヒットです。「僕を頼ってよ」と優しく優しく語りかけて貰える永く後世に残って行きそうな名曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Top of the World | Carpenters (1972's Album "A Song for You" & 1973's Single) | Lynn Anderson (1973's Single) & Oters |
Richard Carpenter, John Bettis |
日本でも一時代を築いた兄妹デュオ、カーペンターズ。ロックを中心に聴いていた一時期は、「良家の音楽」的な感じがして進んで聴くことはしませんでしたが、ほんの短い期間で幅広く聴くリスナー・音楽ファンに成っていました。 今でこそカラオケ・ハウスやカラオケ喫茶で歌われる洋楽ソングの中でカーペンターズ・ソングはトップ10内に必ず入ってくるほどです。しかし`70年代前半に日本で登場したカラオケは`70年代後半には一般庶民の娯楽に成っていましたが、配信選曲でなくソフトの中に曲が入り、歌詞ブックを見ながら歌う時代は、洋楽などは無く、`70年代新作歌謡曲など勿論入っていません。ソフトに入っていた曲の九割ほどは軍歌・戦時歌謡!若者世代だったわたしは歌う事すらできず聴かされるばかりでした。戦争経験者オジサマ族の楽しみだった様です。カーペンターズを聴くとその様なカラオケ初期の時代が浮かびます。この曲はポップ・カントリー調で彼らが持つ全米1位ヒット3曲の中のひとつです。原曲は4枚目のアルバム収録ヴァージョンですが、リン・アンダーソンがカヴァーしてカントリー・チャートでヒットしたのをきっかけに、若干編曲・編集を加えてシングルカットされています。ヒット・ヴァージョンはシングル盤の方です。 わたしにとっても大好きな曲です。カレンがまだドラムスを叩きながら歌っていた時代の曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Shain on | L.T.D. (1980's Album "Shine On" & Singles) | Richard Kerr, Jeffrey Osborne, Billy Osborne |
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"Kickin' Back" というファンキー・ナンバーで気に入ったソウル系の黒人バンドで『Love Magic』というアルバムを買いましたが、この曲、何度も聴くとさすがに飽きが来るのですね。(今でも好きな曲に変わりありませんが) その点一作前のアルバムのタイトル・ナンバーはメロウなソウル・ナンバー。L.T.D.というバンド、最初にヒットした曲が "Love Ballad" だった様にメロウなバラード曲も数曲残していました。その中でも特に好きな曲がこの曲、"Shine on" 。こちらはBB誌 US-R&Bチャートで19位 POPチャートで40位と中ヒット程度でしたが、こうした従来のヴォーカル・グループ並のコーラス・ワークを聴かせてもらえると、単にファンク・バンドで語るには惜しい気がするバンドでした。この曲の作者のひとりでもあるリード・ヴォーカルのジェフリー・オズボーンはこの後脱退ソロに転向しています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | |
You'll Never Know (センチメンタル・ナイト) | Hi-Gloss (1981's Single) | Giuliano Salerni, Phil Hurtt | |
この曲もディスコ・ミュージックながらメロウな曲で、聴けば聴くほど味が出てくる渋い曲です。BB誌のダンスソング部門のチャートで最高位が31位でしたので中ヒットレベルだったのですが、哀愁を帯びたサウンドが日本人にも受けたのか、邦題の「センチメンタル・ナイト」と邦盤ジャケットの夕暮れのニューヨーク写真がマッチして、日本ではかなり流れていた気がします。わたしの購入盤は`92年CD化後の盤ですが、時を経て今聴き直しても懐かしさと新鮮さが入り混じる良い感じを味わえます。 Hi-Gloss はBonita TaylorとPhillip Ballou という人がリード・ヴォーカルを担当し、Luther Vandross 他がバッキング・ヴォーカルを担当していますが、バック演奏陣はスタジオ・ミュージシャンが集まった短期間ユニットだったとの事。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Ain't That a Bitch | Johnny "Guitar" Watson (1976's Album) | Johnny "Guitar" Watson | |
ジョニー・ギター・ワトソンはブルース・マンで Chess や OKeh といったブルース系レーベルから作品を出していましたが、この曲をタイトル曲とする同名アルバムは DJM というレーベルから出て、この曲は完全にファンク・ミュージックに成っていました。そしてこれ以降のアルバムはファンク系路線で進み、アルバムカバーの写真もキザでチャラいいで立ちの物が続いています。この曲暫くは気に入っていて良く聴いていたのですが、他のファンク・ミュージックより軽く感じて次第に飽きて終い,長く聴かなかったのです。ところが一度は気に入った曲、久しぶりに聴いてみたらやっぱりチャラくていい加減な投げやり的な歌い方ながら、スィング感がやけに気持ち良いのです。時が経ってから聴き直して、以前に気に入ったのは間違いじゃなかったと思えた曲でした。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Beast of Burden | The Rolling Stones (1978's Album "Some Girls" & Single) | Jaggar-Richards | |
とっくにR・ストーンズのこの曲の事をページ内で触れていたと思っていました。ストーンズは「大好きな」と迄は行かないですが、「普通に好きな」バンドです、そして重要なバンドですので20世紀中の作品は勿論21世紀に入ってからのアルバムも一応すべて買い続けています。それでもやはり`60年代後半〜`80年代中頃までの曲に好きな曲が多いです。 `70年代後半発売のアルバ『Some Girls』から正式メンバーとしてロン・ウッドが参加していますが、キース共々ロンもガンガン弾きまくるリード・ギターリストタイプでなく、リズム感が抜群で味があり、バンド内に必ず存在して欲しくなる様な人ですが、このアルバム全体で流れるリズムリフその雰囲気がよく出ていました。 そしてこの曲も単純なリズムで進んでいきますがアメリカン南部サウンド的な作りでサザーン・ソウル好きなわたしにはドはまりの大好きな曲の一曲に成っていました。最初にシングルカットされた "Miss You" が全米チャート、1位になり、この曲は8位止まりでした。どちらもディスコティックで流れても違和感ない曲ですが、当時のアメリカ人たちには "Miss You" が若干アーバン感覚でこの曲からカントリー感覚な雰囲気を感じたからでしょうか? |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
I've Been Down So Long | Sandra Phillips (1970's Album "Too Many People In One Bed") | Jerry Williams, Jr.,Gary Bonds | |
`60年代にデビューして数枚シングル盤を出した後、Canyon レーベルから出したアルバム内の一曲。その後は女優としての道を進んだ模様のサンドラ・フィリップス。殆ど無名に近いシンガーですが、このアルバムはLP時代`80年代後半に日本の P-Vine レーベルで発掘発売されたり、CD時代に成りドリス・デューク、ベット・ウィリアムス、ルース・ブラウン達とそれぞれカップリングで三度も再発されています。 プロデュースがスワンプ・ドッグ (Jerry Williams) でその関係で少数ながらも根強いファンがいるのでしょう。この曲 "I've Been Down So Long" はアルバム二曲目収録曲で作者は Jerry Williams, Jr. (スワンプ・ドッグの本名) ,Gary Bonds (ゲイリー・U.S.ボンド) と`60年代初期、R&B界、R&R界の大御所。 曲調は明らかにオールド・ソング風な流れですが、カントリーっぽさをも含んだサザーン・ソウルの原点の様に感じる出来です。この手の曲が好きな人にはたまらなく心に染みてくる懐かしさを持っています。他の曲も良いです。 私の購入盤は Bette Williams とのカップリングで出たUK Kent Soul 盤です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
I Started a Joke (ジョーク) | Bee Gees (1968's Album "Idea" & Singles) | Barry Gibb / Robin Gibb / Maurice Gibb | |
ビージーズの曲は前ページで "To Love Somebpdy" を取り上げ成したが、この曲も "Words" や "I've Gotta Get a Message to You" と並びアメリカでヒットした初期ビージーズ・ナンバーの一曲で日本でも有名な曲です。ヴォーカル・ソロはロビン・ギブでギブ兄弟の中で一番きれいな声の持ち主でした。忘れられない声質です。そして歌詞は哲学的ながらも初期のヒット曲の中でも秀逸なメロディーを持った素敵な曲です。 このシングル盤発売後メンバーが5人から4人に成り、そして一旦ロビンがソロシンガーに転向して行きました。その後`70年秋に三人兄弟にて再出発しています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Disperately (恋のショック) | The Love Machine (1978's Single) | Norman Bergen, Reid Whitelaw | |
ディスコ・ブームといえば殆んどの人がバブル時期の華やかな頃を思い出されるでしょうが、もう少し昔の世代では`70年代中頃の「Soul Train」のテレビ放映開始時期を最初に浮かべるでしょう。アメリカのソウル・ミュージックやファンク・ミュージックの流行が先駆けだったと思いますが、徐々にヨーロッパにも広がりそしてユーロ・ディスコ系の音楽も日本に入って来ていました。(後のユーロ・ビートに発展する少し前です) この "Disperately (恋のショック)" はその様なユーロ・ディスコ・タイプの曲でかなりラジオでも流れていましたし、ディスコでは相当流されたと思います、一度聴いたら忘れられないタイプの曲です。ヨーロッパ系の音作りながらメンバー7人はアメリカ人で作者に名を連ねている Norman Bergen グロリア・ゲイナーの楽曲にも関わっている人の様です。シングル盤のライナーには「去年の12月にミラクルズと一緒に来日・・・」と記されています。その記憶は無かったですが。 グループ名は日本語でラブ・マシーンですが原語ではThe Love Machineと冠詞付きです。(モー娘さんのは "LOVEマシーン") ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Sweet Talking Woman (スウィート・トーキン・ウーマン) | Electric Light Orchestra (1977's Album "Out of the Blue" & 1978's Single) | Jeff Lynne | |
エレクトリック・ライト・オーケストラの曲で作曲者はリーダーのジェフ・リン。スロー〜ミディアムの軽やかなディスコ・ポップで英米でヒットしています。ただ、オールディーズ・ポップスも大々好きなわたしとしては、どうしてもクリスタルズのヒット曲 "He's a Rebel" (ジーン・ピットニー作) に極似だと感じてしまいます。`60年代のポップス・シーンでの最重要人物フィル・スペクターがロネッツの次にヒットさせたガールズグループ最大のヒット曲で多くの人に知られている曲なのに、そのことを取り上げられることは無かった様です、ジェフ・リンがスペクターをリスペクトしているのをみんなが知っていたからでしょうか。 この曲も一度聴いたら忘れられない曲ですね。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Days (デイズ) | Kinks (1968's Single) | Ray Davies | |
レイ・デイヴィスが率いたキンクスの1968年発表のシングル曲。キンクスの音楽性はレイ・デイヴィスの多彩な音楽性によって年代ごとに作風が違いますが、どの時代の曲調作でも印象深い曲を残しています。 権威ある『Rock and Roll Hall of Fame』で`88年ビートルズ、`89年ローリング・ストーンズ、そして`90年にキンクスとブリティッシュ・バンドの中でも後年に影響を与えたバンドだと早くから認知されていた様です。 この曲は初期のキンクスからは想像も付かないような、どこか可愛らしい雰囲気を持った曲調で綺麗です。「青春の終りにふと振り返る懐かしの日々」といった感じでしょうか?丁度同時期に頭角を現してきたビージーズの曲に似ています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Summer Is the Man | The Blues Magoos (1967's Album "Electric Comic Book" & Single as B-side "I Wanna Be There") | Mike Esposito, Ron Gilbert | |
初期ビージーズ調で思い出すのが "We Ain;t Got Nothin' Yet 恋する青春" を「60年代ロック〜Old Rock」のページでも記しているブルース・マグースの意外なこの一曲です。わたしが最初に買った彼らのアルバムは発売から10年ほど経っていた頃で、日本編集の『Tobacco Road』という「恋する青春」が入った日本独自盤と米盤のセカンド・アルバム『Electric Comic Book』でした。この曲はセカンド・アルバムに入っていまして、サイケデリック・バンドのイメージが全く感じられない程の可愛らしい曲で印象深かった曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Baby Let's Wait | The Young Rascals (1966's Album "The Young Rascals)" | The Royal Gguardsmen (1966's & 1968's Single) |
Laurie Burton, Pam Sawyer |
この曲の正式発表日付がどちらが先かは確信を持てませんが、熟考の結果。ヤング・ラスカルズの方を優先しました。Y・ラスカルズの方はは`66年3月発売のデビュー・アルバム収録(シングル化は無し)、ロイヤル・ガーズメン(日本では当初、ロイヤル・ガードメンと記載されていた)の方は`66年10月に一度シングル発売後の後、`68年に再発シングル化してBB誌35位迄上がるヒットと成ってた記録があります。 わたしが買ったのはY・ラスカルズの方が先で`70年代に買ったラスカルズ時代のベスト盤 (大好きな"Groovin'" 収録) の後にヤング・ラスカルズ時代のデビュー・アルバムが日本発売された時です、(`81年)。 ロイヤル・ガーズメンの方は『I Love Rock & Roll Volume 4』収録で21世紀突入後のCD盤です。目当てはボックス・トップスの "Sweet Cream Ladies" という曲。ラスカルズもボックス・トップスもソウルっぽいロック・バンドとして人気の有った`60sバンドです。ところが最も気に入ったのがR・ガーズメンのこの曲でした。Y・ラスカルズで聴いていた時は他の曲に埋もれて聞き流していた様でそんなに意識していなかったのですが、R・ガーズメンの方は初期`60年代のビージーズ風で綺麗に盛り上げていく歌い方で一気に気に入りました。 オリジナル発売はY・ラスカルズとしながらも好きなヴァージョンはR・ガーズメンの方だと云える曲でした。(Y・ラスカルズ・ヴァージョンならば「`60's Rock」の方に入れたでしょうが) ![]() ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Me and You and a Dog Named Boo (僕と君のブー) | Lobo (1971's Single & Album "Introducing Lobo") | Kent LaVoie | |
ロボという妙な名前のシンガーが「ブー」という名の犬を飼っている女性と一緒にドライヴをするといった歌です。 淡々と流れる歌で強いインパクトはないのですが、ラジオで流れているのを聴くと何故か優しい気分にさせられました。最初は Roland Kent LaVoie という本名でグラム・パーソンズらと一緒に音楽を始めていたという事の様で、最初はカントリー系の曲が中心だったのでしょうね。この曲は純ポップス系の可愛らしい歌です。英米どちらのヒット・チャートでも5位以内に入いっています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Maybe Tomorrow | The Iveys (1968's Single & 1969's Album "Maybe Tomorrow" & Badfinger's Album "Magic Christian Music") | Tom Evans | |
"Maybe Tomorrow" アイビーズはバッドフィンガーと改名する前に使っていた名前であるという事はポップスファンなら知っているお話ですが、色々とヤヤコシイ事が起こったバンドでした。Apple レーベルと契約して先ず最初にこのシングルが`68年に、欧米で、`69年に日本で発売され、`69年にアルバムが独・伊・日のみと英米でのアルバム発売は見送られてしまったのです。シングルは`69`年に米BB誌Hot100で67位のヒットはしていましたが本国イギリスでなどでは不発でした。その後メンバーのロン・グリフィスが抜け、ジョーイ・モーランドが加入してバンド名を変更。そしてバッドフィンガー名義での初アルバムに、アイヴィーズ名義でのアルバムから7曲を再収録されたのです。ロン・グリフィス脱退前にはバッドフィンガー名に替えたようなので、そこは納得でしょうか。 日本でのみこの曲のシングルは再発され、アイヴィーズ名義の際は「メイビー・トゥモロウ」、バッドフィンガー名義の際は「明日を求めて」と改題されて小ヒットしていました。将来を期待されていたポップ・ロックバンドでしたが、契約関係でピートとトムが自殺死と痛々しい限りのバンドです。前ページで "Without You" という美しい曲を取り上げましたが、この曲も「明日になればきっと〜が有る」と彼らが若い時に夢を描いた歌詞がヤケに心に染みて、その上この若々しくも素朴なメロディーが胸を打ちます。往年のポップス・ファンならば忘れないでいて欲しい曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
If I Can Sing A Song | Herb Pedersen (1976's Album "Southwest") | Nikki Pedersen, Herb Pedersen | |
ハーブ・ペダーソンの曲は前ページで昔から大好きだった "Wait A Minute" という曲を取り上げていましたが曲を最初に録音したのはジョニー・リバースでヒットさせたのもジョニーですが、後に作曲者のハーブも自身で録音していました。ハーブは`60年代初頭からカントリー系のアーティストと多く共演しており様々な人と一緒にアルバム作りに参加していた人で自身の曲を多くの人が先に録音しています。わたしの持っているのではリンダ・ロンシュタッドやエミルー・ハリスのいくつかのアルバムに曲を提供していました。 よってこの曲ももしかしたら誰かに先に提供している曲なのかも知れません。ただ。調べたところどうもその筋の情報が入手できなかったので、ここで初録音アーティストとして取り上げます。 ジャクソン・ブラウンやリンダ・ロンシュタッドが出現してきた頃のアメリカ西海岸のあの「音・サウンド・風」をモロに感じられる一種の懐かしさを感じられる曲です。作詞のニッキという人は奥様か姉妹さんでしょう。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Just Anither Lover Tonight (行きずりの人) | Cheryl Ladd (1981's Album "Take a Chance" & 1982's Single) | Brian Russell, Robbie Palton | |
`70年代後半に日本で放映されていたアメリカのテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』。初期のシーズンは殆んど終わり近くしか観なかったのですが、途中から結構楽しんでよく観ていました。そこでファラ・フォーセット ・メジャーズに代わって、エンジェルのひとりを演じていたシェリル・ラッドがシンガーとしてシングル盤やアルバムを出していました。彼女はもともと若い頃にグループでレコード・デビュー経験が有ったとかで、ソロでのデビュー・アルバムの人気は本国での方が先だったのに、2〜3年でアメリカより日本で売れる歌手に成って行きました。この曲も、アルバム、シングル共に日本でしか発売されていない様です。結構印象に残っている曲を歌っていましたが、この曲が一番印象的で好きな曲です。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Morning Sun | Carole King (1978's Album "Welcome Home") | Carole King | |
キャロル・キングが三番目の旦那さんリック・エヴァースと共演したのはたった二作ですが、その二作目のアルバム『Welcome Home』に収録された曲。アルバムカバーの仲睦まじい二人が印象に残りますが、その幸せな日々をあらわすかの様な、精気に満ちた歌声、演奏で人に勇気を与えてくそうな曲です。バックのサポートバンドは、マーク・ホールマン達のナヴァロです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Seventeen | Adrian Gurvitz (1980's Album "Il Assassino" & Single) | Adrian Gurvitz | |
エイドリアン・ガーヴィッツという人、ブリティッシュ・ハード・ロックバンド Three Man Army のギターリストだったのですね。全く知らなかったです、というのもファースト・アルバムを買って聴いた後、セカンド以降を買おうとは思わなかったバンドでしたので、気にもしませんでした。 また The Graeme Edge Band の持っている唯一のアルバム『Paradise Ballroom』にも参加していました。ポール・ガーヴィッツと兄弟だとか. . .この事実も知りませんでした。 それがソロ・シンガー、ソングライターとして音楽界で活躍していたのですね。この曲は日本でのみのシングル盤発売と成っている様です。`60年代、`70年代は結構、日本受けしそうな曲を日本でのみシングル化する事ありましたが、`80年代でのこの判断は正解だった様です。 自然に囲まれた土地で育ち、やがてアスファルトやコンクリートで固められた街で過ごすと、時々都会独時の寂しさや孤独感を味わってしまう事が有るのですが、その様な味わいがこの曲には有ります。若い日を思い出します。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Queen Of The Silver Dollar (銀貨の女王) | Dr. Hook & The Medicine Show (1972's Album "Sloppy Seconds") | Barbi Benton (1974's Album) Emmylou Harris (1975's Album) & Others |
Shel Silverstein |
「ドクター・フック」が「ドクター・フック&ザ・メディシン・ショー」と名乗っていた`70年代前半に発表したセカンド・アルバム収録曲ですが、この曲を最初に聴いたのはバルビ・ベントンのデビュー盤で次がエミルー・ハリスのアルバム『Pieces Of The Sky』です。ドクター・フックは、「ドクター・フック」時代から遡って初期の録音盤に移行したので後に成りました。聴いた順番でポップ・カントリー調から徐々にポップさが薄れていく感じでしたが基本はポップ・カントリーにジャンル分けされそうな曲です。 作者のシェル・シルヴァースタインはいかつい顔のオジサンですが、ドクター・フックに幾つもの曲を提供しジョニー・キャッシュやロレッタ・リンなどカントリー系シンガーとの作業が多い人ですが、本業は絵本作家としての仕事が中心だとか… |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Sylvia's Mother | Dr. Hook & The Medicine Show (1972's Single & Album "Doctor Hook") | Bobby Bare (1972's Single) | Shel Silverstein |
そこでシェル・シルヴァースタインがドクター・フックに提供した曲の中で最もヒットした曲がこの "Sylvia's Mother" 米BB誌では5位ながら Cashbox誌では1位に成るヒットでその他各国で大ヒットをしています。ドクターフックのリード・ヴォーカリスト、レイ・ソイヤーは海賊風貌、曲の作者は怖そうなおじさん。しかし曲は青春真っ只中の少年がシルヴィアのお母さんに「シルヴィアと話させて」と願うもシルヴィアは出てくれない…とちょっぴり切ない歌詞で、英語圏ではヒットしそうな感じの佳曲です。家に固定電話しかない時代ならではですね。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
The Bramble And The Rose | Barbara Keith (1973's Album "Barbara Keith" ) | Barbara Keith | |
バーバラ・キースのファースト・アルバム(Verve レーベル)は`70年代後半に「リンダ・ロンシュタッドが好きなら」と大阪LPコーナーで薦められて買った事ありましたが、確かに声は似てはいましたが、平凡な内容でその次に迄手を出さず終いで居ましたが、2000年代に入ってから、サポート・ミュージシャンの名前に目が行きセカンドを入手しました。`70年代前半の物ですので声は相変わらず初期のリンダの様ですが、曲の出来がはるかに良くなっていました。全体的にリンダの`70年代中頃の雰囲気に極似ながら気に入ったアルバムです。 バーバラ・キースはこの後すぐにドラマーのダグラス・ティブルスと結婚生活に入り一旦休業、`80年代後半の夫たちとバンド再開している様です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Eyes Like Twins | Wilson Phillips (1990's Album "Wilson Phillips" & Single B-side) | Jeannette-Thérèse Obstoj, Rupert Hine | |
1990年の5月に発売された米ポップ・グループ、ウィルソン・フィリップスのファースト・アルバム収録曲。このデビューアルバム収録曲の中から全米ポッポ・チャートの1位曲が三曲、4位と12位が一曲ずつと大ヒット曲が5曲も出ている大ヒットで、一躍名前が知れ渡ったグループでしたが、2nd アルバム発表後十年間程活動停止状態で一旦忘れられた存在となっていた様です。 コーラス中心のグループらしくどの曲もコーラスが素晴らしく「確かにヒットしそう」と思える曲ですが、私的には特徴がイマイチで似たり寄ったり的に聞こえました。その中でこの曲 "Eyes Like Twins" はメンバーたちのオリジナルでなくイギリスのソング・ライターの作曲。ヒットはしませんでしたが、セカンドシングルのB面でシングル化されています。どことなくヨーロッパを感じさせるメロディーが印象的でした。この曲だけが異色に感じたのです。全盛期のアバが歌いそうなタイプの曲でわたしにハマりました。 ちなみにグループ名はそれぞれの親が、ブライアン・ウィルソン (ビーチ・ボーイズ) 、ジョン&ミシェル・フィリップス (ママス&パパス) っという苗字連結から来ている模様です。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Summernight Magic | Trine Rein (1993's Album "Finders Keepers") | Nestor Gelii, T.T. Gasholt | |
トリーネ・レインという女性シンガー、ノルウェーの歌手でノルウェーではこのアルバムで大ブレイクし売れっ子に成ったそうです。上の "Eyes Like Twins" でアバの様な曲と書いたことでこの曲が浮かびました。同じ北欧の歌手ですのでアバ風でも不思議ではないのですが、他の曲はほぼ英米のポップ・ロック調ポップスばかりでこの曲のみが異色だったのです。西欧圏の発売でアメリカでの発売記録を確認できませんでした。 `60年代〜`70年代半ば迄の日本で西欧国限定ヒットの日本発売は普通でしたが、`90年代に成ってアメリカ未発売曲を日本で発売するのは`80年代後半の「ユーロ・ディスコ・ブーム」が有ったからだと思えます。 その後、日本での人気が出たとは言えませんがこのアルバムは良質のポップ・アルバムだと思います。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Torn | Trine Rein (1996's Album "Beneath My Skin" & Single) | Anne Preven, Phil Thornalley, Scott Cutler | |
続いてもトリーネ・レインで、セカンド・アルバムから。この曲「トーン」もシングルカットされ本国ノルウェーでヒットしています。上の曲同様、どこかにアバと似ていると感じる部分を持っています。聴き込むとどっぷりハマってしまう構成で彼女のヴォーカルも盛り上げ力が凄いと思います。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Whatcha Gonna Do With A Dog Like That | Susan Raye (1975's Album "Whatcha Gonna Do With A Dog Like That" & Single) | Bob Morris | |
バック・オーウェンスのバックアップにて活躍を始めたスーザン・レイのヒット曲で軽快なポップ・カントリーソング。軽めの曲乍ら一度聴いたら忘れられないタイプの曲です。わたしが聴いたのはダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」が日本で大ヒットしていた頃で、あの曲も一度聴いたら忘れられない曲でどこかに気分を晴らさせてくれる要素を持っていると思います。スーザン・レイのこの曲も全く同じです。本国でカントリーチャート9位迄上がっていますがポップ・チャートには登場しませんでした。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
I Will Always Love You (オールウェイズ・ラヴ・ユー) | Dolly Parton (1974's Album "Jolene" & Single) | Linda Ronstadt (1975's Album) Whitney Houston (1992's Album) & Others |
Dolly Parton |
この曲は映画『ボディガード』内でホイットニー・ヒュートンが歌いそのサウンドトラック・アルバムは世界中で売れて、ホイットニー・ヒューストンはオリジナルだと思えそうですが、オリジナルはドリー・パートン。 オリヴィア・ニュートジ-ジョンが "Jolene" をヒットさせたあと、作者ドリーのアルバムも日本でそこそこ売れたのですが (わたしも買いました)、そのアルバムに収録されていたのがこの曲です。ドリーのシングルはカントリー・チャートで1位に成っています。リンダ・ロンシュタットもカヴァーしていました。 純カントリー・ソングというタイプではなく元々美しいいメロディーを持った曲ですが、ホイットニー・ヴァージョンは売れっ子プロデューサー、デヴィッド・フォスターの手によりアレンジが強烈で凄く聴き応えのあるドラマティックさを生んでいました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Melancholy Child | Pam Tillis (1991's Album "Put Yourself In My Place") | Pam Tillis, Darrell Edwards |
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パム・ティリス。父親は`70年代のカントリー・チャート、トップテン内ヒットを数曲持つ純粋のカントリー・シンガー。生まれはフロリダながら父親の影響で、ナッシュヴィル育ちとカントリー・ミュージシャンに育つ要素はかなり有ったと思えます。それでもカントリー寄りのウエスト・コーストロックに憧れたようで、`80年代に一度ポップス系のアルバム発売に漕ぎつけていましたが失敗。その後ナッシュヴィルでの録音、再出発をカントリー歌手として果しました。この曲はカントリー・ソングながら、ポップ性も持ち合わせた良曲だと思います。このアルバムの写真ではジーンズをはいたナッシュヴィル・レディ(30代前半)と云った感じですが、その後女優業もこなし近年の写真ではメイクも派手で完全に都会に染まったシティ・ウーマン。タニヤ・タッカー (大好きで個別ページもあります) の様に年を重ねてもカントリーっぽい容姿で居られたらなぁと思いました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Who's Cheatin' Who | Charlie McClain (1980's Album "Who's Cheatin' Who" & Single) | Jerry Hayes | |
チャーリー・マックレインはカントリーのメッカ、ナッシュヴィル生まれ。1976年にデビューし、1980年この曲5作目アルバムからのシングルが全米カントリー・チャートの1位に成るヒットとなり全米に知れ渡った女性シンガーです。どちらかと云うと王道カントリー・シンガー・タイプで無くカントリー・ポップ系でこの様なポップ・ソング・タイプが似合うシンガーです。また、デビューから`80年代末ま迄で出すシングルはすべてカントリー・チャートに入る偉業を成しています。そして。`90年代初頭に家族と暮らすことを選び活動休止を選んだようです。13〜14年程の音楽人生でした。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Kiss You All Over | Exile (1978's Album "Mixed Emotions" & Single) | Mike Chapman, Nicky Chinn | |
エグザイルは前ページで "Take Me Down" を取り上げていましたが、あの曲は後にアラバマが歌いアラバマの方がヒットしましたが、こちらは自身演奏での初No.1ヒット。 "Take Me Down" 収録と同じアルバム内の曲ですが、この曲はプロデューサーのマイク・チャップマンがニキー・チンと組んで作った曲で個人的にはスージー・クアトロを想い出しますが、当時の流行に乗ったAOR的なサウンドでポップ・チャートでの1位を意図的に狙った曲の様な出来です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
I Can't Get Close Enough | Exile (1987's Album "Shelter from the Night" & Single) | J. P. Pennington, Sonny LeMaire | |
エグザイルは大好きなバンドですので続けてもう一曲。彼らは60年代半ばには [the Exiles] と複数形冠詞付きの名前でデビューしていましたが、10年間程はほゞ無名バンド。1976年にマイク・チャップマンと出会い、名前を今の名にしてシングルを一枚出した後、`78年の大ヒットアルバム『Mixed Emotions』で漸く有名に成ったのでした。`79年のアルバム迄リード・ヴォーカルを務めていたジミー・ストックリーとマイクがごたごたを起こしジミーが退団。`80年代にはメンバーが変わったことでバンド志向もカントリー寄りに成ったという事です (プロデューサーも変わる) 。この曲も一応カントリー・チャートで1位に成ってはいますが、わたし的にはポップ・ソング風に思えます。少しオールディーズの特長をも感じますし、ウエストコースト・ロック風の味付けも有ると思います。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Grandpa (Tell Me 'Bout the Good Old Days) | The Judds (1985's Album "Rockin' with the Rhythm" &`86's Single) | Jamie O'Hara | |
ザ・ジャッズは前ページで "Young Love (Strong Love)" を取り上げていましたが、この曲も米カントリー・チャートで1位に成った曲です。しっくりと語る様に歌っています。聴き飽きることは先ず無いほどに染み入る曲です。ジャズは母娘カントリー・デュオですが、`83年〜`91年迄の間に14曲をカントリー・チャートのトップに送っていました。 この素敵な曲の作者はジェイミー・オハラという人でカントリー系のSSWで The O'Kanes という男性デュオとして活動していたそうです (その後ソロに)。わたしは現在まで聴いたことはありません。 ちなみに Grandpa はお祖父さんですが、わたしたちの時代は「じいちゃん、ばあちゃん」の呼び方が普通でしたので、最近定着の「じぃじ、ばぁば」のことばを幼子相手でなく大人同士の会話で使うのには違和感を感じます…… |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Crazy Ladies | Barry Mann (1975's Album "Survivor") | Barry Mann | |
バリー・マンはオールディーズのページで "Who Put the Bomp"、"War Paint"、"The Millionaire" の三曲を取り上げたように`60年代前半の曲が (主に日本で) 人気の歌手乍ら、奥さんのシンシア・ワイルと組んで多くのヒット曲を作り一時はソング・ライター業中心に活動していた時期が続きました。その後`69年に久々にソロ・アルバムを出し、1971年の『Lay It All Out』がSSWファンの間で高評価を受け歌手としてまた少しずつ再開し多様です。 この曲は197年のソロ・アルバム『サヴァイヴァー』からの一曲。ニューヨーク生まれで永らく東海岸地域での活動でしたが、このアルバムは当時人気を博していたイーグルスなどを始めとする「ウエスト・コースト・ロック」タイプの曲で占められています。この曲は若干ジャクゾン・ブラウンを思い起こさせるタイプの曲です。 マニアの評価の高い前作より個人的にはこのアルバムの方が好きです。良い曲が並んでいます。彼はやがてカリフォルニアに移住したそうです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Don't Know Much | Barry Mann (1980's Albun "Barry Mann") | Linda Ronstadt (1989's Album) Barry Mann (2000's Album) Bill Medley (1981's Albm) & Others |
Barry Mann, Cynthia Weil, Tom Snow |
「バリー・マンをもう一曲、『Survivor』の次のアルバムで自身の名を冠した`80年作に収録。その後この曲をヒットさせたのはビル・メドレーというライチャス・ブラザースのメンバーだったシンガー。『Sweet Thunder』というアルバムからシングルカットされて BB誌のHOT100,下位の方にチャートインしましたが、リンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルのデュエット・ヴァージョンで知れ渡った曲でしょう。 `80年のバリー自身のオリジナル・ヴァージョンは地味だっただけに、バリー・マンはやり直しの為かセルフ・カバー曲集の2000年のアルバム『Soul & Inspiration』内で再録しています。こちらはブレンダ・ラッセルのハーモニーと共にデュオ形式での録音。断然`80年ヴァージョンより聴き応えのあるバラード・ソングに成っていました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
I Wonder | Ron Davies (1973's Album "U.F.O.") | Ron Davies | |
"I Wonder" というタイトルの曲を取り上げたのは前ページに続いて2曲目に成ります。(前ページの曲はボビー・チャールズが書き、クラレンス・"ゲイトマウス"・ブラウンが最初に録音した曲) こちらはルイジアナ州生まれのSSW、ロン・デイヴィス。若干スワンプ寄りの曲を多く書き、ひそかにファンに成っている人が多いと云われているシンガー・ソング・ライターです。わたしは最初からの三作迄しか持っていませんが、この二作目のアルバムが一番好きで、特にこの曲がお気に入りです。聴き入るとハマり込んでしまう曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Dark Eyed Gal | Jeff Hanna & Matraca Berg (2013's Various Artists' Album "Unsung Hero: A Tribute To The Music Of Ron Davies") | Ron Davies | |
ロン・デイヴィスは2003年に心臓発作のために57歳で亡くなりましたが、プロでュ−サーである妹さんのゲイル・デイヴィスが企画した追悼アルバムが2013年に発売されました。多くの有名アーティストが参加して彼の作品を歌っています。トリビュートアルバムは2011年にも『Mystery of Ron Davies a Pacific Northwest Tribute』というタイトルでプロデュースをエリック・アポイー (Eric Apoe) という人の元発売されましたが、どうも気に入る曲が無かったのですがこちらのアルバムはまるっきり違います、好きな曲が多いのです。ドリー・パートン、ジョン・プライン、クリスタル・ゲイル、 デルバート・マクリントン、スージー・ボグスなど著名なSSW系歌手と妹さんのゲイル・ディヴィスも参加で聴き応えあります。 その中でニッティー・グリッティー・ダート・バンドの創始者でリーダーのジェフ・ハンナと奥さんのマトラカ・バーグのデュエット曲がこの曲 "Dark Eyed Gal" 。如何にもニッティー・グリッティー・ダート・バンドが好んで演奏しそうな`70年代のウエスト・コースト系カントリー・ロック・タイプの曲です。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Everlasting Love | David Lewis (1970's Album "Songs of David Lewis") | David Lewis | |
デヴィッド・ルイスは後にシン・リジーやゲイリー・ムーアが世に出た北アイルランド出身のミュージシャン。`60年代後半〜`70年代初頭にかけて日本でシングル盤の大ヒットを連発させた Dunhill レーベル (グラス・ルーツ、ママス&パパス、ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ等)から発売されていたアンドウェラ (Andwella ) というバンドのリーダー、デイヴ・ルイスです (シングルで「悪い女 I Got A Woman」などが出ていました)。 イギリスでのデビューながらアメリカ経由で日本に紹介されたバンドでしたが、そのアンドウェラ在籍時にソロで出したアルバム『Songs of David Lewis』内収録曲。まだ、シンガー・ソング・ライター続出前の時代に出したアルバムでした。この曲はその中でもじっくりと聴かせるタイプの佳曲です。発売から時代が過ぎても日本では一部でファンが居た様で永らく廃盤だったLPアルバムの再発を2003年に Vinyl Japan が初CD化しました。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Step On Out | Chris Hillman (1976's Album "Slippin' Away" & Single) | The Oak Ridge Boys (1986's Album) |
Chris Hillman, Peter Knobler |
クリス・ヒルマンは様々なバンド活動をしていますが、わたしの感覚では [バーズ]と[フライング・ブリトー・ブラザース] のメンバーだったという事が挙げられ、それがソロ・アルバムを買うキッカケとなっています。この曲はソロ第一作のトップに収められていた曲でアルバムからのシングル第二弾に成ります。Asylumという`70年代のロック・シーンで重要な位置を得ていたレーベルからの発売でしたが、何故かヒットはしなかった様です(アルバム・チャートで152位の様) 後にオークリッジボーイズにカヴァーされるくらいですから、ヒット性は有ったと思えるのですが、クリスの知名度だったのでしょうか?曲自体はポップ・カントリー・タイプで軽めの曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Keep Me in Your Heart | Warren Zevon (2003's Album "The Wibd") | Jorge Calderón, Warren Zevon | |
2003年に肺がんの為に亡くなったウォーレン・ジヴォンが闘病中に録音した遺作アルバム『The Wind』にラストの曲として発表された自作曲。リンダ・ロンシュタットが彼の曲 "Poor Poor Pitiful Me" を歌った事で彼を知りその後聴き続けていたウォーレン・ジヴォン。彼の最後の最後の歌が "Keep Me in Your Heart" という歌、「あなたの心の中に僕を居させて」という歌詞は聴くたびに切なくなります。わたしも家族、親友、知り合いなど多くのがん闘病後に亡くなった人と過ごした経験があります。いつも思い出す事乍ら聴くと更に涙が出ちゃいます。 初期のディラン風に切々と歌う曲なので余計に心に染みます。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Tombe la neige (雪が降る) | Salvatore Adamo (1963's Single) | Salvatore Adamo | |
イタリア生まれのベルギー人歌手で活躍の場はフランスという経歴の持ち主。サルヴァトール・アダモが歌ったフランス語の歌。1963年にリリースされ、ベルギー、フランス大ヒット曲となったのですが。日本でヒットしたのはもっと後だったと思います。アダモはこの曲を日本語でも録音してそのヴァージョンの方がこちらではヒットしたようですが、やはりフランス語の方が素晴らしいです。独特の女性っぽいハスキーな声で歌い上げてセリフも入ります。ウィルマ・ゴイクなどと同様、再録音源も有りますが、あの若い声を聴けるのは Odeon レーベル東芝から出ていた`63年の録音ヴァージョンでしょう。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Se piangi, se ridi (君に涙とほほえみを) | Bobby Solo (1965's Single) | Mina (1965's Single) Yukari Itoh (1965's Album) Akira Fuse (1965;s Single) & Others |
Giulio Rapetti, Gianni Marchetti, Roberto Satti |
1965年イタリア・サンレモ音楽祭のグランプリ曲で日本でも大ヒットした曲。ボビー・ソロは前ページで "Una lacrima sul viso (ほほにかかる涙)" を取り上げているので二曲目に成ります。サンレモ音楽祭やユーロビジョン・ソング・コンテストで有名に成った欧州の曲が日本でもヒットしてラジオで頻繁に流れ、日本語の歌詞が付けられて日本の歌手が歌っていた時代。遠い昔の事に成って仕舞った様ですが、歌の魅力は変わらないでしょう。この歌は布施明さんのデビュー曲としても有名です。わたしがレコードを自分で買える様に成ったとき先に買ったのはボビー・ソロでなく「砂に消えた涙」のヒットで知られたミーナ・ヴァージョンでした。彼女の日本盤シングルの邦題は「君に涙とほゝえみを」で、「ほほえみ」ではありませんでした。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Lipstick Sunset | John Hiatt (1987's Album "Bring the Family") | John Hiatt | |
ジョン・ハイアットの曲は数曲種々ジャンルページで記していますが、長年に渡り活動しているSSWでしょう。彼の作品は15作ほど持っていますがそれでも三分の二程です。初めに聴いた時はエルヴィス・コステロやプリテンダーズ等の英ニュー・ウェーヴ系の人だというイメージでしたが、聴き続けていくとあらゆるジャンルの音楽がミックスされている人だとイメージが変わりました。短髪でスーツを着用が多くネクタイをしている写真も見ました。とても南部サウンドにはほど遠いとも思いましたがスワンプ系の曲も時々聴けます。どのジャンルも大好きというわたしにはうってつけの人でした。この曲はその中でも特に南部系サウンドでスワンプの雰囲気がタップリです。 しっとりとした語り口で歌い上げています。幾つものレーベル、レコード会社を渡り歩いていますが、このアルバムを含む A&Mレーベルに在籍した`80年代後半〜`90年代前半のアルバム類は特に好きです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Lovers Will | John Hiatt (1983's Album "Riding with the King ") | John Hiatt | |
ジョン・ハイアット、`80年代前半の彼はまだ若く風貌自体は「意気でいなせな江戸っ子気質」のお兄さん風ですが、インディアナポリスで生れ、南下してテネシー州を起点に音楽活動を開始しています。このアルバムのカバー写真は完全にシティ・ボーイ風ですが、この曲は原点のテネシーを感じさせるカントリー要素を少し含んだウエスト・コーストを思わせる曲です。 この様な曲を奏ってくれるとはやはり粋なお兄さんです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Le Moribond [Seasons in the Sun] (瀕死の人) (そよ風のバラード) | Jacques Brel (1961's Single & Album "Marieke") | Terry Jacks (1973's Single) | Jacques Brel English Lyrics by Rod McKuen |
フランスの歌手・ソングライターのジャック・ブレルがオリジナル。ジャック・ブレルは歌詞への称賛が多いソングライターでこの曲は奥さんを他の男に奪われ死が近づいた男の歎きを切々と綴る、シャンソンながら初期のアメリカン・フォークに似た雰囲気を感じます。 かなり違った曲にアレンジし直したテリー・ジャックスのヴァージョンは、同じく死が近づいた男の歌詞ながら不貞を扱ったわけでなく、過去の良かった出来事を顧みる様な歌詞に成り曲調もポップ調に成っています。 テリーのヴァージョンは欧米各国で1位か若しくはそれに近いヒット成りアメリカでは1973年年間通しランクでも2位のヒット成り英語タイトル、日本語タイトル共にテリーのヴァージョンが主となりました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Ne me quitte pas [If You Go Away] (行かないで) | Jacques Brel (1959's Album "La Valse à mille temps") | Scott Walker (1969;s Album) Sylvie Vrtan (1972's Album) Terry Jacks (1974's Single) Simone Langlois (1959's Single) & Others |
Jacques Brel, Gérard Jouannest English Lyrics by Rod McKuen |
この曲こそがジャック・ブレルを有名にした曲で、"If You Go Away" の英語タイトルでカヴァーが多い曲です。 一番最初に聴いたのはスコット・ウォーカーのヴァージョンで、ウォーカー・ブラザースが日本で大人気だった影響かスコットのソロ・アルバム収録曲から日本でシングルカットされたのでラジオで頻繁に流れていました。 スコットは大好きで、アメリカ時代のスコット・エンゲル時代、イギリスへ渡ってからのウォーカーBs時代そしてソロ活動期とライヴ盤以外はすべて揃えています。 最初に録音したのはシモーヌ・ラングロワという女性歌手らしいのですが、発売はジャック・ブレル本人の物が二か月ほど早く世に出た様です。シルヴィ・バルタンのはライヴ音源。そして最大ヒットは上記のテリー・ジャックスで再度ジャック・ブレルを取り上げ、"Seasons in the Sun" を収録したアルバム内に収録、そしてシングル化するとBB誌で68位、英国では8位とこれまたヒットしました。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Casa Bianca (白い家) | Ornella Vanoni (1968's Single & Album "La Vanoni En Espanol") | Vicky (1968's Single) | Don Backy, Eligio La Valle |
1968年サンレモ音楽祭でオルネラ・ヴァノーニとマリーザ・サンニア (Marisa Sannia) が歌って2位に成った曲。日本ではオルネラのイタリア語ヴァージョンと、ヴィッキーの日本語ヴァージョン (B面は英語ヴァージョン)が競作となり、ヴィッキーの日本語ヴァージョンが一番ヒットしていたように思います。丁度この当時流行っていた日本の青春フォークソング風 (五つの赤い風船, 赤い鳥など) な曲で日本でもヒットしそうな曲でした。 `64年〜`66年は音楽祭大賞曲が日本でもヒットしていましたが、その後は入賞曲中から日本向けの曲がこちらでシングル化される様になりましたが`70年代に入り徐々にサンレモ関係の曲は日本で注目を集めることが減って行きました。ポピュラー界は完全にロック全盛期に入って行った時代です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
L'amour est bleu (恋は水色) | Vicky (1967's Single) | Sylvie Vartan (2005's Album) Al Martino (1968's Single) & Others |
André Popp, Pierre Cour |
ギリシア出身のポップ・シンガー、ヴィッキー・レアンドロス (この曲発表の頃はヴィッキー名義で活動) が1967年のユーロヴィジョンコンテストで4位入賞に成った曲。(優勝はサンディー・ショウの "恋のあやつり人形") ここでもサンレモ音楽祭同様、2位以下の入賞曲がヒットする結果となっていました。ヴィッキーはルクセンブルグ代表として出場してフランス語歌唱で歌っていました。最初に世界的なヒットと成ったのはポール・モーリア楽団のインスト曲で "Love Is Blue" というタイトルで全米1位になり、日本でも大ヒットしていました。その後にヴィキーが来日、日本語での吹込みをもしてヴィッキーの日本語・仏語両ヴァージョンが知られる様になりました。 わたし的にはジェフ・ベックが当時のプロデューサー、ミッキー・モストに無理やり演奏させられたという曰くつきの演奏が浮かびます。ポール・モーリア盤と同様インスト楽曲ですの「カバー・シンガー」欄には入りません、持っている歌入りはシルヴィ・バルタンです。持っているのは20.05年や2007年に発売された編集盤収録で実際の録音日時などは不明です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Waiting for the Help | Don Nix (1993's Album "Back to the Well") | Don Nix | |
ドン・ニックスのことはジェフ・ベックの B.B&A を通じて知り前ページやほかのページでも数曲取り上げていますが、この曲は`90年代に出た唯一のオリジナル・アルバムからの曲。`70年代には数枚のアルバムを出していましたが、徐々に人気が落ち遂にはアルコールやドラッグに浸り`80年代には一作も作品発表は無くなっていました。 このアルバムも最初に出したのはどうやら`93年にイタリアが最初で本国アメリカ盤は翌年`94年の発売に成ったようです。録音は Wayne Jackson や Andrew Love などThe Memphis Hornsm を中心に南部色の強いサポート・メンバーと一緒に演奏しています。この曲は若干カントリーっぽい雰囲気をも持っていてこの時期、ナッシュヴィル地域で活動していたという話には納得できるタイぷの曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Concrete Sea | Terry Jacks (1972's Single & 1974's Album "Seasons in the Son") | Terry Jacks | |
テリー・ジャックス、カナダのポップ・シンガーでソング・ライター、ジャック・ブレルのカヴァー・ソングで有名になり、上の方、ブレルの処でもカヴァー・シンガーとして記していましたが自身の曲は若干カントリー寄りの曲が多いようです。この曲はまだ "そよ風のバラード" がヒットする前にカナダのみでヒットしていた曲ですが、アメリカのあと日本でも "そよ風のバラード" がヒットした頃に日本では時々聴くこと出来ました。万人受けしそうなポップ・ソングとして聴けますし、耳に残りやすいメロディーを持っています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Boom Boom Bâ | Métisse (2000's Movie Soundtrack Album "The Next Best Thing") | Aida Bredou, David Sullivan | |
Métisseというアーティスト、SkullyとAida Bredouという二人によってフランスで結成されたグループ(らしいです)。 経歴など詳しいことは知らないのですが、マドンナが出演した映画 『The Next Best Thing(2番目に幸せなこと)』のサウンドトラックアルバムのトップに収録されている曲です。アイルランド/アフリカン・ソウル系のバンドとの事ですが、このサウンドはアフリカ的なリズムの上に乗った北欧の寂しい夜を連想させるメロディーで強烈に耳に残ります。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Me and Bobby McGee | Roger Miller (1969's Single) |
Kris Kristofferson (1970's Album) Janis Joplin (1971's Album "Pearl") |
Kris Kristofferson, Fred Foster |
クリス・クリストファーソンとフレッド・フォスターが書き、カントリー・シンガーのロジャー・ミラーが最初に吹き込んだ曲ですが、この曲を有名にしたのは、確実にジャニス・ジョプリンでしょう。 死後発売されて大ヒットしたアルバム『Pearl』に収録された事でこの曲の作者、クリス・クリストファーソンにも注目が集まりクリスのアルバムも当時はそこそこ売れたようです。 シンガー、ジャニスの実力は一度でも聴けば誰でもが納得できる凄さを持った人です。ジャニスは「70's〜 Rock」ページで "Move Over ジャニスの祈り" を取り上げていますが、彼女の場合自身初録音のオリジナル曲が少なくカヴァーが殆どなのが今思うと少し残念なところです。 ロジャー・ミラーは歌い上げるタイプのシンガーでなく軽い調子でポップさを表に出して歌う人なので日本では知らない人が多いですが、米カントリー・チャート上位ヒットを割と多く放った人です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Stayin' Alive | Bee Gees (1977's Album "Saturday Night Fever" & Single) | Barry Gibb, Robin Gibb, Maurice Gibb | |
奇麗なメロディー曲を歌い上げる独自のタイプとして`60年代後半にヒット曲を続けて出していたビージーズ。 `72年後半から`75年前半頃までの約三年間ほどは目立ったヒットが出なかったのですが、ABBAが全世界のポップス界を牽引していた時期に急にディスコ・タイプの曲を連続発表、"Jive Talkin'"、"You Should Be Dancing"、"How Deep Is Your Love (愛はきらめきの中に)"、"Stayin' Alive"、"Night Fever"、"Too Much Heaven" "Tragedy"、"Love You Inside Out"とUS-Chart の1位曲を連発。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のヒットと共にサウンドトラック・アルバムも異例の大ヒットとなり、ビージーズ復活というよりもビッグに成り代わったという印象でした。普段音楽の話をしないような知人のおじさま、おばさま達もアバとビージーズは大好きだと言っておられたほどです。この連続No.1ヒットの中で最も好きなのがこの曲 "Stayin' Alive" です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
It's All Right | The Impressions (1963's Album "The Impressions" & Single) | Curtis Mayfield | |
ソウル音楽の事を記していたどこかのページで「一番最初に好きになったR&B系グループはインプレッションズ」というようなことを書いた記憶がありますが、`60年代後期〜`70年代初期は「R&B」だとか「Soul」というジャンルを考えずに普通のポップ・ミュージック、ヒット・ソングとして「シュープリームス (最近はスプリームスと記されている)」などの曲と同じ感覚で聴いていました。 ただ、`60年代、カーティス・メイフィールドがリード・ヴォーカルをとっていた時代は「R&B」というより「Doo-wop」スタイルのグループだったのですよね。そのヴォーカル・スタイルに惹かれていたのかもしれません。数ある黒人グループの中でアルバムを最初に買ったのはインプレッションズで好きになったキッカケ曲がこの曲でした。BB誌ポップチャートで4位、R&Bチャートで1位に成ったヒット・ソングです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
For Your Precious Love | Jerry Butler andThe Impressions (1958's Single) | Garnet Mimms & the Enchanters (1963's Single)
Otis Reding (1965's Album) & Others |
Arthur Brooks, Richard Brooks and Jerry Butler |
上記インプレッションズはジェリー・バトラーが抜けてからヒット曲を続けて出すグループになって行ったのですが、初期はジェリー・バトラーがリード・ヴォーカルを取りグループ名も「ジェリー・バトラーとジ・インプレッションズ」名義で活動していました。当初この名義でのアルバム発売はなくシングルのみの発売でBB誌ポップチャートで11位、R&Bチャートで3位まで上がっています。どちらかというとドリィーミーなラブ・バラード調でR&Bっぽさはなく、オールディーズ・ポップスのジャンルにも入りそうで、名曲のひとつでしょう。 カヴァーも結構多く、ガーネット・ミムズ、オーティス・レディング(以前は持っていましたが手放しました)他名歌唱ヴァージョンがあります。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Cry Baby | Garnet Mimms & the Enchanters (1963's Single) | Janis Joplin (1971's Album) |
Jerry Ragovoy, Bert Berns |
上曲で、カヴァーシンガーとして記したガーネット・ミムズの代表曲、彼は東海岸のシンガーながら完ぺきなディープ・ソウルで、南部ソウル・ファンにも人気の一曲です。またこの曲を世界に広めたのはジャニス・ジョップリンなのでロック創世記のファンにも知られているでしょう。 ガーネット・ミムズ&ザ・エンチャンターズのヴァージョンはBB誌ポップチャートで4位 (R&Bチャート1位)、ジャニスのシングルは42位ながらこの曲収録のアルバムは世界中で大ヒット、アルバムチャートで1位を記録しています。作者の名前にオールディーズ・ファンならお馴染みのバート・バーンズがクレジットされています。21世紀になっても褪せることのない名曲で絶唱曲です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
You Can Get It If You Really Want | JImmy Cliff (1970's Single) | Desmond Dekker (1970's Single) | JImmy Cliff |
ジミー・クリフはジャマイカ出身歌手の中では一番好きなのですが、英米ではボブ・マーリーやバニー・ウェイラーの知名度に比べてかなりというか相当に低いです。 この曲もジミー・クリフがシングル発売した後、しばらくして発売したデスモンド・デッカーのヴァージョンがヨーロッパでヒット、イギリスでヒット・チャート2位まで上がっています。 ジミー・クリフは "Many Rivers to Cross" (前ページで選曲済)など、有名曲を多く作っているのでどちらかというとレゲエ系ミュージシャンと云うより、ソングライターのイメージが強いのでしょうか? |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
House of Exile | Jimmy Cliff (1974's Album "House of Exile (Music Maker)") | Jimmy Cliff | |
ジミー・クリフ1974年のアルバム収録曲で、レゲエ調リズムがベースにありながらどことなく米ウエストコースト・サウンドを感じる曲です。 最初にこの曲を知ったのは日本盤LPでこの曲名をタイトルにした『House of Exile (ジャマイカの嵐)』でしたが一般的に知られているのはアメリカ盤発売の『Music Maker』というタイトル盤の様でした。[Music Maker] とはジミー・クリフのことを言い当てていると思いますが、このアルバムもヒットしたという記録は残っていない様です。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Do You Really Want to Hurt Me (君は完璧さ) | Culture Club (1982's Single & Album "Kissing to Be Clever") | Boy George, Jon Moss, Mikey Craig, Roy Hay | |
`80年代初頭頃からテレビで洋楽のビデオ・クリップによるプロモーションが始まり、`83年、`84年頃にはMTVの一時代が訪れていましたが、その中でもわたしがMTVならではのグループだと感じたのがこのイギリスのカルチャー・クラブでした。ボーイ・ジョージがスロー・ステップで歌っているシーンは今でも、強く印象に残っています。踊りとかダンスではなく、ステップです。`60年代のドゥーワップ系グループもスタンドマイクの前で4〜5人がステップを揃えてコーラスするシーンを何度か見ましたが、あのシーンも好きですが、ボーイ・ジョージのこのステップは移動しながらの物で印象深かったです。ミュージック・ビデオの力でしょう。 もちろん、全英ヒット・チャート1位に成るほど魅力ある曲だったことも有るのですが、MTV全盛期を語る際には忘れられない曲です。 ![]() |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Karma Chameleon (カーマは気まぐれ) | Culture Club (1983's Single & Album "Colour by Numbers") | Boy George, Jon Moss, Mikey Craig, Roy Hay, Phil Pickett | |
そのカルチャー・クラブが次に全英1位のヒット曲としたのがこの曲。そしてこの曲はイギリスだけでなくアメリカを始め多くの国でチャート1位を達成。日本でもかなりヒットしていました。一度聴いたら誰もが耳に残るヒット性を持った曲です。`80年代洋楽の代表曲でもあるでしょう。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Wake Me Up Before You Go-Go (ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ) | Wham! (1984's Single & Album "Make It Big") | George Michael | |
ワム!もMTV時代にヒットを連発したミュージシャン、デュオでしょう。ビデオ・クリップ自体はストーリー性ナシの物でしたが曲自体のポップ性はまずヒットして当然と思えるものでした。 この曲も全英、全米共にNo.1ヒットを記録しています。`80年代前半のヒット曲を振り返った時に、この曲も確実にこのメロディー・リズムが蘇ります。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Is Anybody Goin' To San Antone | Charley Pride (1970's Single) | Tanya Tucker (2009's Album) | Glenn Martin, Dave Kirby |
西部劇などを観ると、ヒューストン、サンアントニオなどテキサスの地名はよく出てきます、特にサンアンアトニオは『アラモの砦』で有名な町。この地名が入っているタイトルだけで親近感を持ってしまいますが、曲自体も親しみを感じる曲です。アメリカではカントリー・チャートで1位は勿論ながらポップ・チャートで70位と一応チャートに登場していました。 思い返せば子供時代には時代劇ドラマより西部劇ドラマの方を楽しく見ていたという記憶があります。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
The Morning After (モーニング・アフター) | Maureen McGovern (1973's Single) | Al Kasha, Joel Hirschhorn | |
映画『ポセイドン・アドベンチャー』の主題歌として歌われた曲ながら、映画内では使用されてはいないモーリン・マクガヴァンの歌唱で、映画と共にヒットしていました。このシングル日本で最初に発売されたときは 「ポセイドン・アドベンチャー サントラ盤」と表記されていました(今から思うとサギです)。アメリカでは`73年5月に発売され8月にはBB誌Hot100の1位に成っています。わたしは映画は観ていませんがこの曲の印象は深く、1974年に日本で出されたLP盤を後に買ってはいるのですが、マクガヴァンの米盤ファースト・アルバム『The Morning After』全曲にセカンド・アルバム『Nice to Be Around』内のタイトル曲だけを加えた独自編集で出たのですが、タイトルは『邦題:モーニング・アフター、原題:Nice to Be Around』で、カバー・ジャケットは米盤セカンド・アルバムをそのまま使用、曲目内の "Nice to Be Around" (映画『シンデレラ・リバティ』挿入歌)は邦題が "すてきな貴方"と大慌てで作ったアルバム感がいっぱいでした。 彼女はその後も『タワーリング・インフェルノ』や『ゴールド』、『スーパーマン』など映画関連の曲をヒットさせていましたが、徐々にヒット・ソング界から遠ざかってしまう歌手になって行きました。 ヘレン・レディやセリーヌ・デイオンの様にオトナのためのポピュラー歌手へと向かった感じです。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Che Vuole Questa Musica, Stasera (ガラスの部屋) |
Peppino Gagliardi (1967's Single) | Gaetano Amendola, Leoni Ezio, Roberto Murolo | |
`60年代カンツォーネの代表曲のひとつ。1969年製作・`70年日本公開の映画『ガラスの部屋 Plagio』の挿入歌、数曲ある挿入歌の中から、日本ではこの曲をテーマ・ソングとして扱い同名タイトルにした模様。 主演のレイモンド・ラヴロックは公開時に人気があったのは記憶しており、曲のヒットも記憶しています。 ただ、歌っている歌手がペピーノ・ガリアルディだったという事を知ったのは`80年代になってからの事でした。イタリアでの初リリースは`67年で "Se un giorno"とのカップリングで出され、再度`69年に "Occhi di mare" という曲とのカップリングで出されている記録があります。日本では1970年映画公開時に出されてヒットしていたのです。(映画の為に書かれた曲ではなく、既存の曲を挿入歌として組み込んだ形です) この曲、その後2000年代に入ってから 『ヒロシです・・・』のピン芸人自虐小話のBGMに使用され、多くの日本人に曲だけは知れ渡っています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
You'd Be So Nice to Come Home To | Dinah Shore (1942's Single) | Helen Merrill (1957's Album) Frank Sinatra (1957's Album) Julie London (1960's Album) Kimiko Kasai (1973's Album) The Coasters (1960's Album) & Others |
Cole Porter |
古くからのジャズ・ファンならばほぼ知っている人多数のジャズヴォーカルのスタンダード曲。ほぼポピュラー・ソング化もしています。元々は1943年ミュージカル映画 『Something to Shout About』 のために書かれた曲で映画内ではJanet Blair and Don Amecheが歌ったらしいのですが、その映画公開前にダイナ・ショアがレコーディングして発売していたようです。(ダイナ・ショアはOldies Pops の項で "Blue Canary 青いカナリア" を選んでいます) わたしも勿論ヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンと共演したアルバム内で知った曲で、ヘレン・メリルが日本で人気を博したジャズ・ヴォーカルのジャンルでは (日本において) 同部門ベスト・セラー盤です。当時の邦題は『帰ってくれたらうれしいわ』というのが一般的でしたが、誤訳問題の後、原題をそのままカタカナに変換したものが使用されるようになっているという事です。 多くのカヴァーがあり、本命のヘレン・メリル盤意外にジュリー・ロンドン、笠井紀美子さんなど女性のほかフランクシナトラなどを持っていますが、ダイナ・ショア・ヴァージョンは後になってから入手しています。ファースト・リリース盤ながら太平洋戦争最中の事、日本では音楽鑑賞など論外の時代で話題にすら成らなかったのでしょう。本国では3位まで上がるヒットと成ったようですが、時代が時代だけにシングル盤といえども78回転のSP盤です。 わたしが最初に入手したプレーヤーには普通に「78回転」の切り替えが付いていましたが、SP盤そのものは我が家にありませんでした。大規模のお店ではなく町の中古ショップでは`70年代、`80年代でも割と置いてあるところが有ったように記憶しています。 |
Title | Original Singer or Group | Cover Singer or Group | Song Writer |
Fairytale | The Pointer Sisters (1974's Album "That's a Plenty " & Single) | Bonnie Pointer, Anita Pointer | |
ポインター・シスターズは当初ジャズ畑のヴォーカル・グループといった紹介の仕方だったと記憶しています。この曲の入ったアルバムはジャケット・デザインがかなりそのイメージに近く邦盤発売 (`74年)後にすぐ買ったのですが、ジャズ・スタンダードだけでなくファンク系の曲やR&B系も有ったりしたのですが、なんとカントリー・ソングまんまの曲もあり、それがこの曲 "Fairytale フェアリテイル" でした。 意外でしたがすごく良い曲だったので印象深かったです。メンバーの作曲で録音はわざわざナッシュヴィルのスタジオへ出向いたようです。このアルバムはセカンドですが、5作目からレコード会社を移籍してトリオでジャンプ・ソウル系ヒットを連発するグループとなって行きますが、その時代に出したメロウな曲 "Slow Hand" は大好きな曲で前ページで記載済みです。 |
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